酵母の発見~酵母の歴史を巡る~
酒好きにとって、例えば夜、1日の仕事を終えた後に、気心の知れた仲間、あるいは家族と口にするアルコール飲料の一杯は、かけがえのない充実感をもたらす。
人類の文明にとって重要な化学反応の一つは、いうまでもなく燃焼反応、すなわち、火を使うことだ。発酵は、おそらくその次に人類にとって不可欠な化学反応と言っても大袈裟ではあるまい。アルコールの作り方は世界中の古代文明が独自に発見しており、発酵法を独自で見つけなかったのは、北極圏とオーストラリア先住民の一部くらいだという。人類最初の文明は、メソポタミアに興ったシュメール文明だといわれているが、そこではすでにビールが造られていた。人類はビールというアルコール飲料を作るために遊牧をやめ定住し、持続的な穀物生産手段である農業を生み出した・・・とまでいうと流石に言い過ぎかも知れないが、そのぐらい、アルコールを造るのは、ホモサピエンスのDNAに深く刻まれている営みといえよう。
人類がアルコールという脳に快楽をもたらす物質を造り出すには、必ず発酵の力を借りなければならない。この時、糖を食べてアルコールを排出する微生物、「酵母」が働いている。我々人類は、長い年月をかけて、犬や牛を家畜化したのと同様に、知らぬ間にある種の野生の微生物を人間の役に立つよう飼い慣らし、酒を造らせるようになっていた。
しかし、人々は、何千年もの間、発酵を司るのが微生物であることを知らなかった。2500年前に、ギリシャの哲学者アリストテレスは、糖を含む液体をしばらく放置するとアルコールになるのには、「活力(vis viva)」という、ありとあらゆる生き物を目的に向かって駆り立てる生命力のためだという仮説を立てた。つまり、ぶどうジュースがワインになるのは、ぶどうジュースがワインになるという目的意識を持ち、自らの生命力を発揮したためだ、と考えたのだった。一方、中国・宋の時代(1117年)に書かれた酒造書「北山酒経」には、もろみの泡を乾燥させたものを「乾酵」と呼び、これを新たなもろみに加え、発酵を安定させる「合酵」という作業について記されている。つまり、もろみの泡を新たなもろみに加えると酒ができること、さらに、泡を乾燥させれば保存が効くことまで、当時の中国人は知っていた事になる。しかし、いずれにしても、「酵母」という微生物が働いているという意識は一切なかった。
発酵という役割に「酵母」という微生物が関わっていることを最初に発見したのは17世紀オランダのアントン・ファン・レーウェンフックであるが、その画期的な発見の意義を理解できるものは当時一人としていなかった。そのさらに150年後、1837年に、ドイツの生理学者、テオドール・シュワンが、レーウェンフックの発見した微生物こそが発酵を引き起こしていると唱えた。この微生物は、ドイツ語で「砂糖の真菌」という意味の「Zuckerpilz(sugar fungus)」と名付けられ、後のラテン語名であるSaccharomycesの由来となった。ここから、飲用に資するアルコールを造り出す醸造用の酵母はみな、Saccharomyces cerevisiaeサッカロミセス・セレビシエと呼ばれている。1858年、発酵が微生物の営みであることを最終的に証明したのがフランスの研究者、ルイ・パスツールだ。これをきっかけに、発酵と酵母に関する研究が始まった。
日本で酵母の研究が始まるのは明治時代となる。イギリスから招聘されたお雇い外国人、ロバート・アトキンソンは、明治14年(1881)に「The Chemical of Sake Brewing」を著し、日本における清酒酵母の嚆矢となった。1895年には、矢部規矩治(きくじ)により初めて清酒酵母が分離、明治30年(1897)にSaccharomyces sake Yabeサッカロミセス・サケ・ヤベと命名された。折しも、清酒醸造の近代化は、国税をより多く効率的に得たい明治政府の意向にも沿ったため、ここから、酵母と清酒醸造の研究は隆盛していく。
明治以前における日本酒造りは、蔵に住みついた「蔵付き酵母」に頼っていた。これでは酵母の株が一定せず、醸造される酒は品質が安定しない。そこで明治政府は明治37年(1904)、大蔵省の管轄下に国立醸造試験所(現在の独立行政法人酒類総合研究所)を設立し、西洋からの微生物学を本格的に導入、有用な酵母の菌株を分離して、それらを酒蔵に頒布した。明治39年(1906)、醸造試験場の研究成果を社会に役立てる目的で醸造協会が設立され、今の日本醸造協会の前身となる。醸造試験場が分離、育種した酵母の初期のものが、灘の桜正宗から分離された「きょうかい1号」、京都・伏見にある月桂冠「きょうかい2号」である。
現在日本酒業界で使用されている清酒酵母には、日本醸造協会や地方自治体の試験研究施設から頒布されるもののほか、大学やそれぞれの酒蔵が独自に分離・培養するものもある。清酒酵母は清酒醸造という特殊な環境に適応した株が長年の清酒醸造の歴史のなかで選択されたものであり、特にきょうかい7号、9号など、業界内での標準的酵母とされてきた酵母は、数々の選抜と試練を生き抜いたエリートとも言えるだろう。
明治以降の微生物研究者たちの努力の積み重ねが美酒を生み出すもととなる。まさに、「発酵の母」の名の通り、人類に喜びをもたらしてきたアルコール発酵の基となるべき酵母は、研究者と、業界で働く人々の不断の努力が生み出した宝ともいうべき存在なのだ。
(文・山口吾往子)
<参考文献>
アダム・ロジャーズ(2016)『酒の科学』白揚社
吉田 元(1989)「日本における低温殺菌法の発展」,『科学史研究II』28,p25-30
岩田健太郎(2018)「ワインラバーな感染症屋が考える『アルコール発酵』の偉人 微生物学が関係する理由」(https://dot.asahi.com/wa/2018102900056.html?page=2)(最終閲覧:2022-11-5)
大石航樹「人類は遺伝的に『酒飲み』になる運命だった? 1億年前に隠された生物進化の秘密」(https://nazology.net/archives/80281)(最終閲覧:2022-11-5)
公益財団法人 日本醸造協会ホームページ(https://www.jozo.or.jp)(最終閲覧2022-11-5)
国税庁(2021)「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り」調査報告書「日本酒の歴史」p15-54
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