京都市産技研 前史(戦後の混乱から現在まで)
~京都市産技研と清酒酵母の歩み~
昭和20年(1945)に終結した太平洋戦争によって日本は壊滅的な打撃を受けたが、酒造業も例外ではなかった。日本における昭和20酒造年度(BY)の全製造量のうち17%の酒が失われ、戦争に駆り出された杜氏や蔵人などの貴重な人材も多数戦死した。それに追い打ちをかけたのが食糧難、とくに日本酒の原料となる米の絶望的な不足であった。兵士たちの復員によって飲酒人口が急増し、また暗い世相を反映して酒類への需要が高まった。しかし供給が追いつかなかったため、戦争中に石油燃料の代用として製造されたエチルアルコールに、人体に有害なメチルアルコールを混ぜたものなど、有害なアルコールが闇市場に出回り、失明したり死亡したりする被害者が後を立たなかったという。京都市産技研の前身である京都市工業研究所でも、昭和26年(1951)と昭和28年(1953)に、酒精中のメチルアルコール定量法の研究がなされた記録がある。
昭和25年(1950)6月、朝鮮戦争が勃発し、日本に特需景気をもたらすと、食糧事情も好転し、酒造用米の割り当ても増加したため、ようやく日本酒の製造量及び消費量が伸び始めた。同年、当時の京都・伏見の酒造業者が中心となり京都酒造工業研究会が創立され、京都市工業研究所が事務局を務めることとなった。京都酒造工業研究会は以後、酒造業の近代化と京都・伏見酒造業の復興に貢献し続けて現在に至る。
終戦から10年目の昭和30年(1955)、GDP(国内総生産)が戦前の水準を上回り、政府は翌昭和31年(1956)の経済白書で、「もはや戦後ではない」と宣言する。高度経済成長期の始まりだった。京都・伏見を含めた日本酒業界も、ここから再び隆盛していく。昭和30年から41年の間、さまざまな組織改編を経た後に、京都市工業研究所は京都市工業試験場と改称される。
清酒酵母の歩みに目を向けよう。戦前、秋田県・新政酒造から、摂氏10度以下という超低温で安定的に発酵する酵母が分離され、日本醸造協会は、昭和10年(1935)、きょうかい6号酵母として頒布を開始した。太平洋戦争中、醸造協会が頒布した酵母は「6号酵母」のみであったことは特筆に値する。戦後すぐ、長野県・宮坂醸造の「真澄」を造る酵母が、昭和21年(1946)優秀な酒を造る酵母として分離され、同じく日本醸造協会によってきょうかい7号酵母として全国に頒布されることとなった。このふたつの酵母はいわば安全醸造を担う日本酒業界における標準酵母とみなされた。
一方、京都では、昭和36年に京都市が酒母製造免許を取得、昭和37年から清酒酵母の分譲が開始されている。その時点で、工試1号・工試2号・工試3号と名付けられた3種類の分譲用酵母があった。工試1号はきょうかい6号酵母、工試2号はきょうかい7号酵母、工試3号はきょうかい8号を元株として優秀な酵母を選抜したものだ。ここから、昭和53年(1978)に京都での酵母需要のピークを迎えるまで、京都市工業試験場の酵母は安定した販売実績を残している。
その後、日本酒を取り巻く環境は大幅に変化する。昭和28年(1953)、『香露』の熊本県酒造研究所で、低温でよく発酵し華やかな芳香を出す酵母が分離されていた。これは現在の吟醸酵母の原型となるもので、きょうかい9号として頒布された。熊本酵母は山田錦との相性が良く、いわゆる1980年台以降の「吟醸酒ブーム」をもたらした。
時を同じくして、公設試験研究機関や大学、民間企業などを中心として、より吟醸香を出す新たな酵母の開発が進み、1990年代以降、カプロン酸エチル高生産性酵母やリンゴ酸高生産性酵母といった酵母が多数生み出されていった。地域の特性を生かした酒造好適米や酵母も開発され、それぞれ開発地を名称に冠する静岡酵母、秋田酵母といった地域限定酵母が生まれた。京都においても、同様な業界からの要請があった。これが、のちの「京都酵母」開発につながっていく流れでもある。
京都市工業試験場は、平成元年(1989)に京都市リサーチパーク地区内に移転した。さらに、平成15年(2003)に、染織試験場と工業試験場を、それぞれ繊維技術センターと工業技術センターに改称し、これを組織として統合した京都市産業技術研究所が誕生した。酵母開発の視点からは、平成17年(2005)、工業技術センターにおいて、新規開発酵母「京の琴」の分譲が開始している。平成22年(2010)10月には、「ものづくり都市・京都」の一層の発展を図るため、繊維技術センターと工業技術センターを立地統合して、新たな産業技術研究所を開所した。また、伝統産業と先端産業の融合による新たな京都ブランドの創出を図り、活力ある京都産業の発展を推進するために、産業技術研究所内に「知恵産業融合センター」を創設した。
現在、京都市産技研では、京都市内の清酒生産拠点への支援として、市内への醸造業者への技術支援を一貫して実施するとともに、醸造業者への技術支援の一環として清酒酵母を分譲している。開発した酵母は京都の酒造業者に分譲し、高付加価値な清酒製造に活用されている。このうち、「京都酵母の歴史」については別項で述べる。戦後、高度経済成長期、そして現在に至るまで、京都市産技研は、組織形態を時代の要請に合わせて柔軟に変化させながら、京都・伏見の酒造業界と二人三脚で走り続けている。
(文・山口吾往子)
<参考文献>
地方独立行政法人 京都市産業技術研究所 創設100周年記念誌 (2016)
鈴木芳行(2015)「日本酒の近現代史~酒造地の誕生」吉川弘文館
吉田 元(2016)『京の酒学』臨川書店
藤本昌代・河口充勇(2010)『産業集積地の継続と革新~京都伏見酒造業への社会学的接近』文眞堂
国税庁(2021)『日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り』調査報告書「日本酒の歴史」p15-54
月桂冠株式会社ホームページ(https://www.gekkeikan.co.jp/)(最終閲覧:2022-11-7)
公益財団法人 日本醸造協会ホームページ(https://www.jozo.or.jp)(最終閲覧2022-11-7)
新政酒造株式会社オフィシャルサイト(http://www.aramasa.jp/around/)(最終閲覧:2022-11-7)
宮坂醸造株式会社ウェブサイト(https://www.masumi.co.jp/about/history/)(最終閲覧:2022-11-7)
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