若手伝統工芸作家・職人のご紹介 京友禅 大村幸太郎
京友禅作家の故大村禎一氏を父に持ち、美術大学を卒業後、三人の師匠に弟子入りして経験を積み、現在、日本工芸会準会員として多くの受賞実績を持つ大村幸太郎さん。弟子入りから工房を継ぐまでの道のり、作品づくりへの思い、手描友禅を目指す方への期待などについて語っていただきました。
絵を描くことが好きで手描友禅の道へ
染織作家の父親と着物姿の母親。幼少の頃から、着物は常に身近にあった。
絵を描くことが好きで美術大学に入学し、建築やプロダクトデザイン等、環境デザインについて学んだ。特にやりたいことも見つからず、今後の進路について悩んでいた時、父から友禅の修行に行かないかと提案があり、友禅は自分の届かない世界であると感じつつも、自分を見つめなおす良い機会であると考え、絞染と友禅染を併用した作品を制作する木原明先生(木原工房)の門を叩いた。
「親父が自分の工房ではなく、他の工房への弟子入りを推薦したのは、何でもいいから真剣に取り組めるものを探せる環境に身を置き、様々な経験を積んでほしいという願いがあったのではないかと思います。」
木原先生の門を叩いたものの、弟子入りが許可されたのは、3箇月が過ぎた頃だった。毎日、何かの絵を描いて週に一度、先生に見せ続け覚悟がやっと伝わった。絵を描くということが、本当にやりたいことであると認識したのもその頃だった。先生からは、”何が描きたいのか、やりたいことが明確であるか”を第一に考えるように指導を受け、作品づくりをさせてもらった。
初めての作品は、様々な方に酷評をいただいたが、自分らしくオリジナリティーのある作品となり、入賞もしてモチベーションが上がった。大好きな絵を描くことや作品制作にも拍車が掛かり、友禅の魅力に少しずつはまっていった。
「まさにターニングポイント。木原工房以外の工房にいたら、私は今、自分の作品を作れていないかもしれない。木原先生に入門して良かったと思っています。最初につくった作品は、地色は引染をせず、生地白で出しました。地色よりも染める模様の方が大事という感じでした。商品にはならないけど、そういうことってやっぱりすごく大事。そんな取組ができたのも、木原先生のおかげです。」
3人の師匠
木原工房の事情と、新しい挑戦の機会を探っていた時期が丁度重なり、木原先生の後押しも受けて、秀でた友禅技術を持つ吉田喜八郎先生(吉田工房)に師事することになった。
「吉田先生は、私がとても描けない友禅を綺麗に仕上げられるし、絶対に美しいものにするという信念をお持ちで、その技術に憧れました。それから友禅に日々向き合いました。吉田工房で学んだことが、のちに大村工房の友禅に大いに役立ちました。」
吉田先生に一年学んだ後、糸目糊置の川越國裕先生に半年学び、大村工房へ戻った。最初は、筆の持ち方から染色材料も違うため、多少ギャップを感じたが、先生方に師事した経験をいかし、父親の技術も吸収しながら、大村工房の新たな技術を確立していった。
「木原先生から固定観念にとらわれない自由な発想、吉田先生から職人としての高度な技術と高い美意識、父からは総合的な指導を受けました。3人の師匠の教えがミックスされて今の自分が形成されています。」
作品によって、それぞれの師匠に影響された技術が反映されていると評されることも多い。よりよいものを求めるために、三人の師匠の教えをいかしていきたいと語る。
知らない世界を知るために
大村工房に戻った頃、父親から強く勧められ、京都市産業技術研究所(旧繊維技術センター)の研修を受講することにした。父親は、21期修了生であった。
「知らない世界を知ろうと思いました。赤糸目も初めて知りました。基礎が学べるのでゼロから学ぶのもいいですが、ある程度技術を習得してから学ぶのもいいと思います。我々41期は、高校卒業したばかりの方や大学生といったアマチュアから、研修中に叙勲を受けられた超ベテランまでいて、自由な感性とプロの技に互いに影響を受け合えたことが魅力的でした。それがすごく面白かった。」
研修では、丁寧に美しく仕事をすることやカリキュラムが掘り下げてあることから基礎を徹底して学ぶことができた。修了後、同期で『41的STYLE』(現在も活動中)というグループを結成し、初代リーダーとして作品展も開催した。同期の良い仲間に巡り合えたことも大切な財産となっている。
亡き父に見せられる着物をつくりたい
父親が亡くなり、いよいよ本腰を入れなければならないと追い詰められ、それまで引っ張ってきた『41的STYLE』を後任に任せて辞めた。厳しい現実があった。
「親父が病気で他界したとき、とても難しい商品の仕事が残っていました。最初は、どうやって色を出しているのか、どういった技法で染めているのかも分からなかったけど、必死に取り組み、何とか仕上げました。その商品を百貨店にも評価していただいたことが自信につながりました。“やればなんとかなる”“これで仕事をやっていける”と確信しました。」
販売は問屋にお任せしている。問屋のおかげで今日まで仕事をさせていただいたと感謝し、全国を駆け巡る営業のプロとして信頼もしている。作品への思い、技法、目新しさ等、しっかりと問屋に説明することで、互いに理解を深め、販売促進につながるように心掛けている。問屋とのコミュニケーションは欠かさないという。
「常にスケッチに行きます。ネタを仕入れに行く。家で机に向かっていても,いいアイデアが生まれるわけがない。スケッチしているうちに,着物の図案や染色表現の構想につながり,ドキドキしてきます。でも,若い頃に比べ,そのドキドキが少なくなってきました。だけど,つくらなければならない。時代に合わせて何かを捕まえに行かなければならない。しんどいですよ。」
つくりたいものを掘り下げて考える。デザイン、色、技法を自分で見い出しながら常に新しい感覚を身につけておく。スケッチで得たインスピレーションとともに作品に表現し、その作品の特徴を問われた時に答えをしっかり準備しておく。
購入していただくお客様は、作品ができた背景、スケッチの場所、エピソードなどを知ることで、着物に愛着を持ち、そのストーリーを語りながら素敵な時間を過ごす人も多い。
日本伝統工芸展近畿展に入選して百貨店で展示されるようになると、染色作家として徐々にステップアップしていくのを肌で感じるようになった。受賞することが作品づくりのモチベーションにもなった。父親が偉大な作品をつくっていたので、それに一歩でも近づきたいという思いは、未だにしっかり胸に刻んでいる。
「いつか工芸会の正会員になり、気持ちの入った満足できる作品がつくれたら親父に見てもらいたい。」
着物を着て、小説や映画の世界へ
「着物のシルエットが好きで、肩から流れるような造形が美しいと思う。幼少の頃から母親が出かけるときに、相手を思いやり、丁寧に着物を着る時間が何とも言えず好きでした。」
着物を着て街をそぞろ歩けば、もはや小説や映画の世界。非日常が味わえる。ビジネススーツを着て新幹線で移動時間を短縮する価値もあるが、着物を着て寝台列車でゆっくりとした時間を楽しむ価値もある。純文学や古き良き日本映画に出てくるような世界がそこにはある。
「着物離れが言われていますが、小説や映画の一場面を想起させるような、時間の流れをゆっくり楽しんでいただけるような、そんな着物を提案していきたい。」
オリジナリティーと“わくわく感”を大切に
「好きなことにチャレンジして失敗しても、そこから何かを気付いたらいい。自分のやりたいことや手法について、師匠や仲間と激論を交わすことも大いにやるべきです。人のアドバイスを聞くことは大切ですが、取り入れるかどうかは自分自身で考える。それでも作品に込める気持ちは大切にしてほしい。」
つくりたいものを追求し、研究すれば、自然と価値のあるものが創出できる。オリジナリティーと“わくわく”する気持ちがないと人は感動させられない。
友禅の職人や作家を目指す人には、日本工芸会主催の日本伝統工芸展、近畿展、染織展をはじめ、様々な公募展にも積極的にチャレンジしてもらいたいと熱いエールを送った。
(平成30年、9月『大村工房』にて)
PROFILE
大村 幸太郎(オオムラ コウタロウ)
平成19年度みやこ技塾京都市伝統産業技術者研修 第41回本友禅染(手描)技術者研修 修了
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