
若き日に抱いた熱意と人々とのつながりが、独自の作風へと結実
陶芸作家・重要無形文化財「青磁」保持者(人間国宝) 神農 巌(しんのう いわお)氏
神農巌氏は、「青磁(せいじ)」の制作に長らく取り組んでこられた陶芸作家です。青磁は透明感のある青緑色の釉薬をかけた磁器で、中国から伝来し特に宋時代(10 ~ 13 世紀)の名品は日本で珍重され、その後独自に発展しました。神農氏は、青磁の新しい表現である「堆磁(ついじ)」技法を生み出し、多数の作品を制作、展覧会で入賞するなど広く活躍され、令和6年には、重要無形文化財「青磁」の保持者(人間国宝)に認定されました。同氏は修業時代に京都市伝統産業技術者研修陶磁器コース本科・専修科(現産技研の伝統産業技術後継者育成研修陶磁器コース)を受講されています。今回、神農氏に、陶芸作家を志した経緯や産技研の研修で学ばれたこと、そしてその後の作品制作への想いを伺いました。併せて、現研修生や伝統産業の担い手を目指す皆さんへのメッセージをいただきましたのでご紹介いたします。
―― 陶芸作家を志した経緯は何ですか。
実はもともと陶芸のことはよく知らなかったし、特に関わることもなかったのですが、絵や工作することは子どもの頃から大好きで、美大へ進学したいと思っていました。しかし、実家が商売をしていたため、家業を継がせたいと考えていた父から反対され、仕方なく一般の大学を受験しました。都会への憧れから第一希望は東京の大学だったのですが、あえなく失敗。それで近畿大学経営学部へ進学しましたが、東京への夢が破れて気落ちしてしまい、入学前に気持ちを癒すため一人旅にでたのです。その旅の途中、宿泊先で出会ったのが偶然にも近畿大学の陶芸クラブの先輩方でした。私が同じ大学の新入生とわかると「気が向いたら部室においで」と声をかけてくださる優しい人たちでした。入学後、授業に身が入らず悶々と過ごしていた私は思い切って彼らの部室を訪ねました。そこで初めて土に触れ、焼き物ができあがる過程に感動し、ついにクラブへの入部を決めたのです。
それからは陶芸にのめりこみました。合宿で訪れた陶芸工房の雰囲気に触れ、働く職人さんの姿を見て、次第に陶芸を生業にしたいと思うようになりました。しかし、生計が立てられるのかといった不安もありますし、家業を継ぐかどうかの問題もありました。そんな悩みで揺れていた20歳の時、大きな転機となったのが京都国立博物館で開催された「安宅コレクション 東洋陶磁展」(1978年)でした。そこで初めて見た美しい磁器の数々に魂が揺さぶられるような衝撃を受けました。「自分もこんな青磁の器がつくりたい、陶芸を天職にしよう」と陶芸で生きる覚悟を決めたのです。
作家になるためには、もっともっと陶芸の勉強をしなければいけないと思いました。そこで京都市工業試験場(現産技研)に行っていた大学の先輩の存在を知り、その方の自宅を訪ね、試験場について話をお聞きしました。そして設備の充実した本格的な研究機関だと感じ、自分もここで基礎的な知識を身につけたいと思うようになりました。厳しかった父の理解も得て、大学卒業後は試験場で研修を受講することになりました。


―― 京都市工業試験場では、どんなことを学ばれたのですか。
試験場の陶磁器コース本科では、成形技術や青磁の釉薬の基本を学びました。その後、成形の技術をより深く身に着けるために、京都府立陶工職業訓練校(現京都府立陶工高等技術専門校)に入りました。訓練校の卒業生の中にはすぐに独立する人もいましたが、私はさらに陶芸について学びを深めたかったので、再び試験場の陶磁器コース専修科に入って、本格的に青磁の釉薬について研究しました。試験場の通常のカリキュラムだけでなく、釉薬の勉強会に参加したり、講師の方に付き合っていただいて夜遅くまで成形などの練習をしたりと貪欲に知識や技術を追求しました。試験場での学びや研究は、今の自分の作風を確立させるために必要な技術を与えてくれたことはもちろん、人々とのつながりや出会いも、私の人生形成に必要不可欠なものになりました。試験場では窯元の跡取りとも多く知り合うことができたのですが、彼らは今でも情報交換し合える大切な仲間です。
その後、独立に向けて様々な技術を習得したかったので、試験場の先生の紹介で、清水焼の窯元である三幸製陶(瑞光窯)で修業しました。そこで、制作についてのあらゆる実務を経験し、5年後に独立を果たしました。こうした道のりを進むにあたっては、大学時代の学部の授業で学んだPlan(計画)・Do(実行)・See(管理)のサイクルをいかし、5年単位の計画を立てて取り組みました。試験場での研修を修了した後、5年修業して独立、その5年後に個展を開くといった具合です。どんな学びもどこかで役に立つものですね。

―― 独自の技法「堆磁(ついじ)」がひらめいたきっかけは何ですか。
堆磁は私の考えた造語で、泥漿(でいしょう:泥状の磁土)を何層にも塗り重ねることによって得られるラインで造形表現しています。堆磁が生まれたきっかけは、三幸製陶時代の器の修復作業でした。素焼前の素地を生(なま)と呼ぶのですが、生素地の欠けた部分を修復するために筆で何回も泥漿を塗り重ねて盛り上げ、ペーパーで擦り、これを繰り返すことで欠けた部分を元に戻すことができます。この作業を手掛けている中で「これは造形技法になるのではないか」とひらめき、堆磁の技法に結びつきました。
堆磁を確立するまで、試験場時代の研究や釉薬の知識もいかしながら、材料や工程を根気よく調整し試作し、研究しました。私は、作家として生計を立てるため、独自の手法で自分なりの作風を生み出したいという気持ちが常にありました。堆磁という技法は私の陶芸への熱意を抱き続けた成果だと思っています。
独立後は、琵琶湖が見渡せる里山の地に工房を構えました。青く美しい水を湛えた琵琶湖は私に多くのインスピレーションを与えてくれます。作品に込めた「生命の根源」というテーマも、琵琶湖を眺めその水面に自然のうつろいを感じている時に浮かんできたのです。
―― 伝統産業を担う次世代に向けたメッセージをお願いします。
産技研の研修を受講する若い人たちは、伝統産業を生業にしようと自分なりに覚悟を決めた人たちだと思います。ならば絶対にあきらめず、貪欲に自分の道を進んでください。そして、出会った人たちとのつながりを大切にしてください。それでもうまくいかないことはあると思います。しかし、つながった人脈や熱意を持って取り組んだことは、必ず自分の糧になります。まずは常に制作のことを頭の片隅に置いておくことが大切です。そうすることで、ふとした出来事が大きなひらめきに変わる瞬間があるはずです。ひらめきは常に準備している人のもとへやってくるものだと思います。そうした意識を日頃から大切にして過ごしてください。
PROFILE

神農 巌(しんのう いわお)
〒520-0521 滋賀県大津市和邇北浜691-1
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