若手伝統工芸作家・職人のご紹介 京焼・清水焼 藤原芙由美
土いじりが好きで、大学では陶芸を専攻。京焼・清水焼窯元の加藤丈尋先生の下で修業し、産技研の研修修了後、芙蓉(ふよう)窯せらみ屋を開窯。大好きな金魚などを題材として、普段使いの器からアクセサリーまで、シンプルで存在感のある作品制作に励む藤原芙由美さん。人との出会いに支えられたエピソードなど、感謝を込めて語っていただきました。
絶対、陶芸で仕事がしたい
小さい頃から泥いじりが大好きで、泥団子をつくってピカピカに磨いていた。実はガラスにも興味があり、小学生と中学生の頃、ガラスの体験がしたくて滋賀県の黒壁スクエアに行ったが、不思議なことに2回ともガラスの体験が定員オーバーでできなかった。そこで陶芸の体験をしたのが大きかったという。最初は軽い気持ちで陶芸のできる高校へ行ったが、そこで本格的に続けたくなり、京都精華大学の陶芸科に進学。卒業する頃には、職人として京都で陶芸の仕事をしたいと思うようになり、職業訓練校へ。卒業後は、清水焼窯元の加藤丈尋先生の下で修業した。
「加藤先生のところに修業に入って、そこで、京都の陶芸の中で生きていくには、どういうものが必要かとか、ものづくりだけじゃなくて、気構えっていうか、いろんなことを学ばせてもらいました。」
修業は大変だった。習わせてもらっているという学生の立場とは違い、仕事場では、自分がつくる時間すべてにお金が発生する。仕事でやっていることに練習はないと感じた。
「最初はめちゃめちゃ大変でしたね。でも、理屈が通ってる厳しさなんで。それはついていくべきやと思ったし。それに食らいつけば、それだけ自分にも実力がつくというか、役にも立ってるって感じでしたね。プレッシャーもあり、できないことも多い状況でしたが、そのプレッシャーからか、学生の時よりもぐんと伸びたような…仕事って思った時に、なんか職人として次の段階に入ったかなっていう気がしましたね。」
最初は土もみや片付けなどの雑務をしていたが、そのうち先生から、つくることをどんどんやるように言われ、初めて戦力として認められたことを感じた。小さな雑器から始まり、こなせるようになれば背の高いものへ。弟子に入って半年経った頃には壺をつくれるようになった。
「加藤先生も私が初めての弟子やったんです。だから、弟子を採る時はめちゃくちゃ思い悩まはったらしくて。でも、なんかの時に“ふゆさん来てくれてよかった。”って言ってくれはって…ありがたいなと思って。“ここにいていいんや。”って言われてるんやなって思いました。」
社会人じゃなくなる解放感!
充実した修業時代を過ごす一方で、身体は悲鳴をあげていた。修業の間、腰がヘルニアに近い状態となり、神経に触りかけていた。病院に通いながら仕事をしていたが、限界だった。
「この先一生陶芸ができなくなるぐらいやったら、今辞めさせてもらって、身体を戻す時間が欲しい。産技研へ行って、独立の準備をして、家で仕事ができるようにしつらえをするので、辞めさせてほしいとお願いしました。」
加藤先生に願いを聞き入れていただき、3年で工房を辞めることになった。
それまで生地だけをつくっていたため、このまま独立しても自分のものがつくれないと思い、釉薬を学ぶために産技研の研修を受講した。カバンを持つと腰が痛くなって足がしびれるため、荷物をカートに入れて研修に通い続けた。
「研修のカリキュラムでは、ろくろの練習をはじめ、いろんなことをしたんですけど、基本的には釉薬の実験が多かったです。最初は様々な釉薬の基礎を学ぶんですけど、レポートがすっごい大変でした。釉薬の成分によって質感が決まってて、条件に合わせてテストピースを作製するんです。そのテストピースは、ちゃんとまだ持ってて時々見ます。すごい勉強になるんです。」
研修の応用課題で、色釉を実験した。基礎釉を決め、それに添加する色材の配合を微妙に変えることで、多彩な発色を見せる色釉に夢中になった。
「研修中は、加藤先生からもらった仕事もしてたんで、大変は大変でしたけど、社会人じゃなくなる解放感!学生気分に戻ったあの1年はめちゃめちゃ楽しかったですよ(笑)。」
産技研へ行きながら、元々祖父が営んでいた店を自分で改装して、現在の工房の準備も始めた。その間に体も復調し、研修修了後、ようやく独立した。
京都陶磁器青年会との出会い
大学の時から“せらみ屋”という名前で陶器アクセサリーの制作活動をしていたので、独立後はそれを仕事にしたかった。ただ、自分でもアクセサリーだけでやっていけるのか自信がなかったので、加藤先生や知人などから生地をつくる仕事をもらいつつ、器とアクセサリーを地域のフリーマーケットや手づくり市などに出していた。元々、引きこもってものづくりをしたいがためにつくり手になったが、販売のために8割くらい外に出る生活を送るようになっていた。
しかし、徐々にそんな生活に不安を感じ始め、30歳の頃にこのまま続けるか、辞めて一般の企業に就活し直すか、決断すべき瀬戸際に追い込まれていた。
「つくり手としてこの先どうしようってなった時に、先生から京都陶磁器青年会の話をお聞きし、会長さんのお家に先生と行って、“入らしてもらえへんやろか?”って先生が直接頼んでくれはって…。そこから陶器屋さんとの付き合いがめちゃくちゃ拡がりました。加藤先生がポンと陶磁器青年会に押してくれはったところで変わったんですよ。そこが一番大きいと思います。ありがたいです。本当に助かりました。」
陶磁器青年会と「KYO-MONO is COOL!プロジェクト」※1の会議やイベントには、熱心に通い詰めた。本プロジェクトと京都市、キリンビール等が連携して開催したビアタンブラーコンペにおいて、人気投票で1位となり京都市長賞を受賞。それがきっかけで「女子力展」にも出展した。さらにはキリン一番搾りのCMにも出演し、その関係でいろいろな取材を受けるようになった。また、団地の問屋も製品を扱ってくれるようになり、五条の陶器屋とも繋がりができた。
先生からの仕事以外は、ほとんどの時間を会議や催事に充てたため、体力をすり減らしたが、そこでようやく人間関係ができ、徐々につくる方に時間を使えるようになった。
※1 京モノis COOLプロジェクト 京都の伝統産業を若手で盛り上げていこうと、平成26年7月に立ち上ったプロジェクト。京都伝統産業青年会、京都陶磁器青年会で構成されている。
アクセサリーの仕事が軌道に乗ったのも、陶磁器青年会がきっかけだ。当時、青年会を通じて京都陶磁器会館に酒盃を入れていたが、アクセサリーを売り出す際に声を掛けてもらい、製品を納めるようになった。それから他の店からも声が掛かるようになり、産技研の展示販売(永楽屋本店、貴船コスメティックス&ギャラリー)にも定期的に出展し、現在の仕事の8割をアクセサリーが占めるようになった。
「結局、自分が仕事を取りに行ってるんじゃないんですよ。1個やったらそれが次に繋がって、1個やったら、また繋がって…みたいな感じで生き残らせてもらっている。人の指先でできる善意ってあるじゃないですか。指先でチョンってやってくれはることが、私にはすごいありがたいことばっかりで…。今の状態は非常に満足しています。」
“この人”というブランド力
「好みや使い心地は常に考えています。それから、人の助言はできる限り取り入れようと思ってます。ものを売る人の意見は結構的確で、それを取り入れたら確かにその通りやなって。また、実際に使ったうえで返ってきたレスポンスも参考にして改善をしています。使い心地はできるだけ重視したいんです。」
アクセサリーも、流行のセンスを追うのは難しいが、陶器以外のパーツについては、今流行っているものを仕入れるよう、心掛けているそうだ。
また、観光客がお土産として買っていくケースが多いためか、貴船と清水坂で売れる商品の色目が異なるという。
売り手や、使い手からの情報を基にして改善や工夫を重ねるのには、日常で使ってもらえるものをつくりたいという思いが込められている。
「自分のお小遣いの範囲内で買えて、オシャレに使えるとか、家で夕飯を食べるのに買った器を使うとかって、なんか気分いいじゃないですか。多分、私は100万円のものをつくれる作家ではなく、日常生活で手に取ってもらえる2,000円とか3,000円とか、そういう次元のものをつくる人。だからこそ、その中で一番いいものができたらいいなって思ってます。」
金魚をモチーフにしたものにはこだわっている。金魚が大好きで、小学校の頃から和金やランチュウ、ピンポンパールなどを飼っていた。色が好きだし、優雅に泳ぐ様はとても良い。現在、金魚に使用している赤色は、産技研の研修時代の実験で生まれたものだ。
「無鉛で赤ってなかなか出ないんですよ。ペタってしてるものはあるんですけど、これだけ盛りに盛った赤絵って少ないんです。それを研修で実験していて、最後のちょっとした調合具合は、産技研の先生が調べて調節してくださいました。それからそのままずっと使ってます。産技研に行ってなかったら、金魚は描いてないってことになりますね。」
陶芸でものづくりすること自体、一番続けたかったこと。ただ、今までは続けられるかどうかの挑戦であったが、この先、結婚して子供を持ちたいとなると、私生活と仕事を充実させながら続けて行かなければならない。今後は、背負える看板として、『”この人”というブランド力』をつくることが課題である。
「公募展に出展するのも必要不可欠だと自覚はあります。でも、できてないのが現状。何かを1つしたら、1つランクが上がって、自分の制作にそれが活きる。追い込めば、その追い込まれた分だけバネになるのは分かっているんですけど。なかなかね…」
外に出ましょう!!
「常にがむしゃらにやるしかないと思いますが、身体は大事に!自分の身体を守れるのって自分しかいないのだから。やりたくてもやれへんってこともあるの。一生続けたいなら、セーブするなり、治すことに専念するなり、その時の選択は、やっぱ自分でちゃんと考えた方がいい。」
これから作家・職人を目指す方へのエールをお願いしたところ、身体を壊した自らの体験を踏まえ、まずは健康管理の大切さを語った。
「自分の実力はもちろんつけて当たり前だけど、結局は人との繋がりが一番大事。いかに人と繋がって、輪を拡げていけるかですね。だから、外に出ましょう!!引きこもらせてもらえへん方がありがたいですから。」
藤原さんはそう笑って締めくくった。
(令和元年9月、『芙蓉窯せらみ屋』にて)
PROFILE
藤原 芙由美(ふじわら ふゆみ)
平成25年度 京都市伝統産業技術者研修
陶磁器コース 修了
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